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Posted by TI-DA at

“モカ”との別れ。

2018年06月27日

おはようございます。

6月27日
水曜日の朝を迎えました。

今日は
久しぶりにブログを書いています。

モカが天国へ旅立ってから
ひと月が過ぎました。

何度かブログを書こうと
パソコンの前に座ったのですが
モカの写真を見ると涙が溢れてきて
書くことができませんでした。

本当は一昨日、月命日の25日に
書こうとしたのですが
やはり、書くことができませんでした。

あれから2日後の今日
やっとブログを書くことができています。



この写真は5月14日
モカが亡くなる11日前の写真です。

この時は、キッチンカウンターの上にも
上がれるくらい元気だったのに
5月24日、亡くなる前日の夕方に
急にふらつき始めたモカ。

驚いて
すぐに旦那chamaへ電話をしました。

この日は、ふらつきながらも自分で歩いて
水を飲みに行き、トイレもできていましたが
モカの好きなシャケやササミをあげても
食べるコトはありませんでした。

あまりにも急の出来事で
どうして良いのか…気が動転していましたが
とりあえず、明日病院へ連れていくことに。



5月25日の朝に写した写真です。

この写真を撮った5時間後
モカは天国へと旅立ちました。

午前中に病院へ着き、診てもらうと
あまり状態が良くなく、点滴をするので
午後にお迎えに来てくださいとのことでした。

点滴をすると元気になるかもしれない!と
希望をもって病院を出たのが12時を過ぎた頃。

お迎えに行くまで時間を潰すことになり
病院の近くで食事をしました。

ちょうど食べ終わった頃の午後1時
私の携帯が鳴りました。

携帯を探しながら感じたのは“病院からだ”
そして同時に“悪い知らせだ”とも感じました。

電話に出てみると病院からで
案の定、悪い知らせでした。

点滴をしている間に心臓が止まった。
人工呼吸器をつけて蘇生を試みているので
すぐに来れますか?とのことでした。

急いでお店を出て病院へ向かいました。

時間にして10分もかからなかったと思いますが
私には、とても長い時間でした。

病院へ着くと診察室へと案内されました。

そこには、口の中にチューブを入れられて
心臓マッサージを受けているモカがいました。

その姿を見た途端
我慢していた涙が溢れだしてしまいました。

心臓マッサージをしているので
機械は動いていましたが
モカはすでに息を引き取っていました。

「もういいんじゃない。」と言う
付き添ってくれた母の言葉に頷くことしかできず
モカの心臓マッサージは終わり
人工呼吸器も外されました。

モカの最後に
私は間に合わなかったのです。

あの日の病院を思い出すと
ブログを書いている今でも涙が溢れます。



モカとのお別れを知っての事でしょうか?
十数本もあるお庭の“ひまわり”が
一輪だけ花を咲かせてくれました。

長男坊ちゃんが育てたお庭の
“ひまわり”でモカを送りました。

前日のモカの状態を見て
覚悟はしていたのです。

それでも
もしかすると…と言う思いがあったので
動かなくなったモカを見て涙がとまりませんでした。

先生のお話しでは
腎臓の数値があまりにも悪かったので
急に腎機能が止まったのかもしれない。
おしっこも出ていなかったんじゃないかな。
年齢は18歳くらいで高齢だけど
可愛いおばあちゃん猫だね…と仰っていました。

亡くなる前日までおしっこはしていましたが
病院へ行く少し前、立ち上がったけれど
自分でトイレへ行くことができずに
その場でおしっこをしてしまいました。

その時、出たおしっこの量は
少ない量だったと思います。

もしかすると、もっと前から
モカはSOSを出していたのかもしれません。

それに気づかなかったのかもしれないと思うと
モカに申し訳ない気持ちで
「ごめんなさい。」と謝ることしかできませんでした。

そして
“ひとり、病院で逝かせてしまったこと”
“最近は、かまってあがられなかったこと”
“うちに来なかったら、もっと長生きできたのでは?”
“もっと、美味しいご飯を食べさせてあげれば良かった”
“もっと、ヨシヨシしてあげればよかった”
“もっと早く気づいてあげられれば”

「ごめんね、モカ。」

モカが亡くなってから
後悔と謝罪の気持ちで心がいっぱいになりました。



亡くなった翌日
モカはけむりになってお空へ上がっていきました。

長男坊ちゃんは
「なんでモカつれて行くの?」と泣いてしまい
葬儀社の方を困らせてしまいました。

モカは個別に火葬をしていただき
お骨は家に連れて帰ってきました。

今でも
「モカ、おはよう。」
「モカ、行ってくるね。」
「モカ、ただいま。」と、モカが生きていた頃と
同じように挨拶をしています。

長男坊ちゃんは
時々、ヨシヨシもしています。

その姿を見て
私がヨシヨシしてあげられなかったぶん
子どもたちがモカのことをヨシヨシしていたんだ…と
気づき、心が少しだけ楽になりました。

でもそれは
“都合の良い解釈だ”とも思うのです。

モカが亡くなってから
「虹の橋」という詩に出会いました。

「動物は亡くなると虹の橋の手前で
 飼い主さんが来るのを待っている…。」
そんな内容の詩でした。

「虹の橋」を読み
涙が溢れてとまりませんでした。

“モカは「虹の橋」で私を待っててくれる”
そんな事を思うと嬉しくなったのです。

でも、すぐに
“モカは虹の橋で私を待っててくれない。”と
マイナスの気持ちが出てきたのも事実。

いつかは、今のこの気持ちも
薄れていくのだと思いますが、それまでは
このままでいいのだと思うことにしました。

モカが幸せだったかどうかは
モカにしかわかりません。

ただ、私はモカがいて幸せでした。



モカを可愛がってくれていた
近所のお姉さま方からいただいたお花です。

私たちがモカを知る前から
モカのことを可愛がってくれていた方々で
モカが亡くなった時にも
お顔を見にいらしてくださいました。

「ありがとう」のメッセージと
綺麗なお花をいただき、モカは
とても幸せな猫だったと心から思います。

ありがとうございました。

そして
モカを家猫にしたせいで
なかなか会う事ができなくなってしまい
ごめんなさい。



2013年6月のモカです。

私が初めてモカに会ったのは
2010年12月の事だったと思います。

まだ、この家に住む前の事。

遊びに来ていた友人が
「猫ちゃんが来てるよ。」と言うので見に行くと
勝手口のドアの前に猫が座っていました。

それがモカとの出会いでした。

このブログにモカが初登場したのが
2011年5月の事。

7年も前の事です。

モカも波瀾万丈の人生を送った猫で
我が家にくる前は、お隣さんで飼われていました。

そのお隣さんが
モカをおいて引っ越していったのが
2012年2月。

それからモカは
我が家の玄関で暮らす事になったのです。



2015年2月のモカ。

この日は、最後の妊婦検診を終え
疲れて帰ってきて、ソファーで横になって
休んでいる私の上で横になるモカ。

ちなみに、この9日後
長男坊ちゃんが生まれました。

2012年2月から
玄関で暮らす事になったモカでしたが
9月に来た台風の時に家の中に入れてからは
家の中で暮らす事になりました。

家の中で暮らすと言っても
完全な家猫ではなく、外にも遊びに行く
自由な暮らしをしていたのです。

それが、いつの間にか
完全な家猫になりました。

家猫になってからも外が好きで
朝早くから散歩をしたり
時々は、自分で網戸と窓を開けて脱走!
なんて事もありました。



2015年7月のモカ。

5カ月になった長男坊ちゃんを
チェックしにきたモカ。

子どもが大きな声で泣くと
気になるのか、様子を見ていたモカですが
ハイハイや歩くようになると
一所懸命、逃げていたモカ。

でも
長男坊ちゃんが2歳を過ぎた頃からは
ヨシヨシしようとする長男坊ちゃんに
されるがままでした。

ヨシヨシされるのが大好きだったので
長男坊ちゃんのヨシヨシも
受け入れてくれた優しいモカでした。



2016年5月のモカ。

宅配便が届き
開封するとすぐに近づいてきて
ダンボールの中に入ってしまうモカ。

ダンボールだけじゃなく
袋の中に入るなんて事も多々。

今でも宅配便を開けると
どこからかモカがやってくるのでは…と
思ってしまいます。



2017年3月のモカ。

宅配便のダンボールも大好きでしたが
写真を撮る時も邪魔しにきたものです。

こっちが写真を撮ろうとすると
お顔を下に向けて
なかなか正面を向いてくれないモカ。

何をしにきたの?って感じでしたが
かまってほしかったのでしょうね。

私がパソコンの前に座ると
だんだんと近づいてきて
いつの間にかキーボードの上に座ってしまう
なんて事もよくありました。



2017年6月のモカ。

これは珍しく正面を向いてくれました。

でも、昼のお顔なので
少しお目目がきつく見えるかな。

夜はお目目クリクリで
可愛いお顔のモカですが
昼のお顔は、この写真よりも目が細く
少し人相、猫相が悪くなってしまいます。

それでも
私たちにとっては可愛いモカでした。



2017年8月のモカ。

ソファーを抱きかかえるように眠るモカ。

この格好
初めて見た時には驚きました。

猫って、こんな寝方するんだーって。

驚いたあとは
もちろん大笑いもしましたよ。

猫の眠り方って
いろいろな方法があるんですね。

モカと一緒に暮らして
その事がわかりました。



2017年9月のモカ。

モカはこの場所が好きでした。

家猫になった当初は
ここに発泡スチロールで昼寝の場所をつくり
ほぼ、この場所で過ごしていたモカ。

もちろん
お外が見えるのもお気に入りポイントの
ひとつだったのかもしれません。

ダイニングテーブルを設置してからは
朝ごはんの時は、ここで待機。

誰かが何かをくれるのを
じーーーっと待っていたものです。



2017年12月のモカ。

暖を取るために
炊飯器の上に上ることもしばしば。

炊飯器の他には電気ポットや
電子レンジの中に入るなんて事も。

先日、ご飯を炊こうと
炊飯器のスイッチをON。

スイッチを押したときに
流れる音を聞いた長男坊ちゃんが
「モーちゃん」と叫んで
炊飯器の方向を向いたのです。

暖を取るために
炊飯器の上に座っていたモカ。

その時
うっかり炊飯器のスイッチを押す事があり
時々スイッチ音を流していたモカ。

それを聞いていた長男坊ちゃんは
モカが来ていると思ったようです。

長男坊ちゃんにとっては
“炊飯器のスイッチ音=モーちゃん”
だったようです。

モカがいる時は
頻繁に炊飯器のコンセントを抜いていましたが
今ではコンセントは差しっ放しになっています。



2018年1月のモカ。

お目目クリクリの可愛いモカ。

寒い日は、姉がつくってくれた
マットの上で眠っていました。

モカが亡くなって一週間を過ぎた頃
このマットは姉の所へ持って行きました。

モカのトイレも砂もご飯も
全て姉の家へ。

以前はダックスフンドが5匹いたのですが
年齢が近かったせいで
毎年、ひとりづつ旅立っていきました。

今ではダックスフンドが1匹に
新たに迎え入れたトイプードルが1匹
そして、3年間で保護した猫が3匹います。

「1匹連れて行く?」と冗談で言っていましたが
しばらく動物を飼うことはないと思います。

今は子どもを育てる事で手がいっぱいで
動物としっかり向き合うことが難しいと
感じるからです。

それでも
モカと似た子の里親を募集していないか?と
何度もネットを見たりもしました。

モカじゃないのに…。



2018年4月のモカ。

次男坊ちゃんも大きくなり
モカをヨシヨシする場面も増えていました。

長男坊ちゃんほど
上手にヨシヨシできず、途中からは
尻尾掴み攻撃に。

その攻撃を余裕でかわしていたモカ。

時々、怒っているかもと感じる事がありましたが
攻撃をする事はなかったモカ。

とても
優しい猫ちゃんでした。

旦那chamaの実家にいた猫のさくらは
子どもだろうが大人だろうが
ましてや飼い主だろうが関係なく
猫パンチを炸裂させる怖い猫でした。

なので、余計に
モカの優しさを感じたものです。



2018年5月のモカ。

我が家で冷蔵庫の次に高い場所の
飾り棚の上で眠るモカ。

最近は、ここも
お気に入りの場所だったようでした。

棚の上に飾っている絵に
押しつぶされていたモカ。

その光景を見てびっくりしましたが
まったく気にしていない様子のモカに
少し笑ってしまいました。

モカと出会ってから7年半。
モカと暮らすようになってからは6年と少し。

いつまでも、ずっとこのまま
一緒にいられると疑わなかったのに
あまりにも突然、天国へと旅立ったモカ。

ずっと一緒なんて事
そんな事、あり得ないってわかっているのに。

それでも
「モーちゃん上からおろしてきて。」
「モーちゃん探しに行こう。」と言ってくる
長男坊ちゃんの気持ちと私も同じ気持ちです。

モカがいなくなって毛のお掃除も
トイレのお掃除もする事がなくなり
毎日のお仕事としては楽になりました。

でも、大変でも
やっぱりモカがいるほうが良いんです。

モカが病院から元気に帰ってきたら
いっぱいヨシヨシして
美味しいごはんを食べさせてあげよう。

そう思っていたのに、それができず
ましてや、モカの最後に
立ち会う事すらできませんでした。

もう一度、モカに会いたい。
モカに会って、ちゃんと向き合って謝りたい。

一か月が過ぎた今でも
心の中は、まだそんな気持ちでいっぱいです。

 


Posted by 茶飴花 at 09:36Comments(8)モカ